アトリエメギド

折り紙やサブカル。一知半解の徒が分かったようなことを書くブログです。他山の石にしてください。

パラリンピックについて一夜漬けの勉強

パラリンピック』について少し。

初級障がい者スポーツ指導員の資格を取ったもののあまりにもパラリンピックの知識がなかったのでかなり集中的に勉強してる最中です。

第一回パラリンピック大会とされているのは、1960年に開かれました。

これはもともとイギリスのストーク・マンデビル病院の医師、ルードビィッヒ・グッドマンが戦争で脊髄などを損傷した元兵士たちのために開催したスポーツ大会でした。

それまでも障害者がスポーツをすることはありましたがあくまでも社会復帰、リハビリテーションなどが目的でした。

本格的な障害者のスポーツ競技大会の出発点は20世紀初めのドイツ。

聴覚障害者のためのスポーツ団体が創立、以降ヨーロッパの各地で障害者による競技団体が作られるようになる。

1924年、現在のデフリンピックの元になった国際ろう者スポーツ競技大会がパリで開かれるなど、国際的な大会も開催されている。

第二次大戦後の1948年7月28日、前に書いたストーク・マンデル病院での『手術よりスポーツ』の理念の基に患者達のスポーツ大会が開かれた。

この翌日にロンドンオリンピックの開会式が行われている。

わざわざこの日を選んだのはオリンピックを意識してのこと。

『失われたものを数えるな。残っているものを最大限生かせ』と言う言葉で有名なグッドマン医師は後に障害者スポーツの父と呼ばれるようになる。

『東京2020 オルタナティブプロジェクト』(PLANETS vol.9)浅生鴨氏の文章を要約。

写真はグッドマン医師f:id:design-nn:20160902012036j:image